YUKAってどんな人?起業を志すまでのストーリー~いろんな経験が私を強くしたお話~

こんにちは!
SNS集客・売上アップを専門とした女性起業家のための起業サポートをしていますYUKAです。

私自身、起業するまでは、ある企業のお客さま対応部門を分社化させたコールセンターのセンター長をしていました。
13年間、通販やダイレクトマーケティング、お客さまとの信頼関係の構築、売り込まないセールスを徹底的に学び、実践してきたことが、今の女性起業家のためのサポートとして活かされています。

学歴なし、資格なし、人見知りの私が、イチ起業家として稼働するまでの道のりは、山あり、谷ありの人生!!
まさにジェットコースターのような、ハラハラ・ドキドキといった生活を送っていましたが、夢は思い描いたように実現できると体感する出来事がたくさんありました。

私も、最初から順風満帆だったわけではなく、苦しい時代を乗り越えたからこそ、同じような経験をしたことのある女性の気持ちが痛いほど分かり、一人一人の生徒さんに寄り添えているのだと思います。

そんな私の生い立ちと、起業するまでのストーリーを、ココで紹介したいと思います。

なぜ女性起業家のコンサルを始めたのか?

私は現在、『売り込まないでお願いされる集客』をコンセプトに、SNS集客アカデミーUNITEを運営しています。
何から始めたらいいか分からないという方から、既に起業したけど、集客がうまくいかないと悩まれている女性起業家さんを対象に、【Instagram×LINE公式】をメインで使ったSNSマーケティングを基礎に、女性の自立を目指しサポートさせていただいております。

小さな島育ちの箱入り娘は島脱出計画を立てる!

私は、1977年、長崎県の小さな島に生まれました。
信号もない、コンビニもない、グルっと海に囲まれた自然豊かな離島で生まれ育ちました。
中卒で大工の道に進んだ父と、勝気で男勝りな母にたくさんの愛情を注いで育ててもらったのですが、小学生になると将来を考えた時に、早々に島脱出計画を立てるのです。

『このまま島に居たら…私の未来は、農家か漁師のお嫁さんかな?』とそう漠然と考えるようになりました。
農家や漁師のお嫁さんがイヤだったわけではありません。
ただ、外の世界を知り、ドラマの中の世界のバリバリと働くキャリアウーマンに憧れていたのだと思います。

両親は共働きで2学年上の兄と4人暮らし。
決して裕福な家庭ではなく、両親は夜遅くまで私たちのために懸命に働いてくれました。
そんな親を見ていたにも関わらず、苦労を掛けてしまうと分かっていながら、人生最大のワガママを口にしてしまうのです。

『〇〇高校に行きたい…』と。
そんな、親不孝な娘に両親は、イヤな顔一つせず、下宿生活を送らなければならない高校への進学を許してくれたのです。

私の田舎では、当時、男性は大学に行くと世間体がよく、女性はいつかは嫁に行くからと高卒が当たり前といった感じでしょうか…。

私も大学で学びたい気持ちはありましたが、高校まで卒業させてくれた両親に感謝しています。
それからは、自分で稼いで自分で学ぼうと、私自身も強く思えました。そう…、学歴が全てではないと…。

先日、70歳を超えている母にあることを打ち明けられました。
それは、『○○(兄)だけ大学に行かせてYUKAを行かせられなかった事を今でも後悔していると…。』

驚きました!よくそんな昔のことを今まで後悔させていたなんてっ!!

私はとっさに、
『大学行かなくても、私、立派に働いてるよ!会社勤めのときも、どんどん昇格させてもらえたり、大学に行っていたら、学校に行かずにアルバイト三昧の生活で勉強してなかったかもしれないしねっ!
それなら、少しでも早く社会人になってしっかり稼いだ方が良かったよ!』と。

母は兄と私を自慢の子どもたちと言ってくれます。出来が悪くても、母親にしてみたら、可愛い存在なんでしょうね。

兄はサラリーマンを経て独立し、20代で立派に一級建築士となり、会社の社長さんになりました。

父は、大工さんで、父みたいに職人いとしてこだわり続け、お客さまに優しく、きっちり仕上げる…
そんな働きぶりは私の目から見ても、マネできないと思うほど、仕事人間でした。

私は島育ちでスクスクと成長し、遊びは自分で見つける!
おやつは自分で何とかする!と子どもながらに自立した心をもっていたかもしれません。

母は兄と私が、どうやって大きくなったのか、記憶がないと言います。
そうでしょうね…。『生きる』のに精一杯でしたから…。

早く親元を離れてしまった母のために、私は、起業して一番初めに叶えられた夢があります。
それは、毎月1回、実家に帰ること。そして、島で暮らしていた15年間の記憶、それからの30年間のジェットコースター人生を話してあげられるのです。

・保育園のお迎えの時間になっても母が迎えに来てくれず、友達の家で母の仕事の帰りを待っていた
・授業参観や学習発表会は一度も見にこれなかったこと
・夜遅く仕事が終わる両親を待つのは、とてもお腹がすくので、兄と一緒に父の貯金箱からお金を拝借していたこと
・30円を手に、兄と駄菓子を買って食べていたこと

大爆笑している母を見ると幸せな気持ちになりました。

子どものため、生活のために汗水流して働いてくれた両親の背中を見て、私たち兄妹は育ちました。
私は島の草花のように、強くたくましい子に育ったと思っています。

目次

悪いことは何もしていない…なのに夢がことごとく崩れてしまう

ここからは世間知らずの箱入り娘の次のステージのお話しです。
24歳のとき、当時働いていた職場の方と、私、結婚したんです!!

神さまからの試練…私にはどう頑張っても報われないことを知る

これまでにゆかりのある場所は…福岡、福山、大阪、東京、新潟。

学びや就職、元旦那さまの転勤で、これらの街とのご縁ができました。
中でも新潟は、引っ越した後の初めての休日で新潟を散策しよう!と出かけた矢先に『新潟県中越地震』に遭いました。
転勤先では仕事が出来ず、滞在期間はわずか2週間。でも私にとって一生忘れられない街となりました。

どの街も私にとって、大切な大切なご縁のある場所です。

ス~っと、次の話に入ろうとしましたが…(*ノωノ)
私、バツイチです!(あっ、冒頭で書きましたね)

当時は『なんで?なんで?なんで?』と信じられない想い、くやしさ、自分の価値の無さ…
そんないろんなマイナスの感情に支配され、生きるのが大変でした。

幸せになるとたくさんの笑顔に祝福されて、結婚した矢先、初めての流産。その後も立て続けに流産してしまい、不育症という診断が下りました。
それでも、何かの方法で、妊娠を継続できるかもしれない!!そんな思いから、病院にも通っていた時に…。

私には、子どもは産めないと、元旦那さまに判断されたのでしょうか?
子どもが欲しかった…という言葉を口にされ、元旦那さまの裏切りもただ受け入れて、離婚をする道を選びました。

でも、そんな時も、家族が救ってくれたんです。

いざというときに、守ってくれる人がいる有難さ

世間体を気にして、
『私が離婚したら両親が島で暮らしづらくなるのではないか?』
『私が感情を押し殺せば、婚姻生活は続けられる』と散々悩みましたが…

父の『もう帰ってこい』の一言で、
『我慢しなくて良いんだ』『私らしく生きていいんだ』『もう一度楽しく暮らせる日を夢見ても良いんだ』とそう思えました。

離婚して1年経ったころには、元旦那さまのことを恨むこともなく(笑)、あの人と結婚したおかげで、専業主婦も出来た!いろんな土地で生活も出来た!海外旅行にも連れて行ってもらえた!など、たくさんの良い思い出に目を向けられるようになりました。

どれもこれも、私一人では叶えられなかった生活。そう思うと感謝しかありません。これは私の運命。
離婚後、一度も会ってはいないけど、どこかで幸せに暮らされていたら良いなと思えるようになっています。

いろんな経験をさせていただきました。しなくても良い経験であれば、幸せなまま毎日を過ごしたいですが、色んな感情を経験し、そこから這い上がれた自分を褒めてあげることもできれば、同じように苦しい・悲しい体験をされている方の気持ちを理解することも出来ます。人生かけてのお勉強です。

これは、私が人として成長するための試練を、神さまが与えてくださったんですね。

一時は、自分が壊れてしまうのではないか?と不安でしたが、大変な時、そばに居てくれる人たちこそ、やっぱり大切にしなければならないと、思いました。

離婚時、当時飼っていたワンコ2匹だけを抱え、飛行機に乗り…
夜中にどこに泊まるとか何も考えられず、とにかく2ワンコだけ連れて、飛行機に乗ってしまったんです。

福岡空港の出口では、兄が迎えに来てくれてました。恥ずかしそうに手を振って…。

車中、申し訳なさから泣いていた私に…
兄は 『泣くな!これからは好きなことが何でもできる!』と笑いながら慰めてくれたのです。

実家に帰るには、フェリーに乗らなければ帰れませんが、もう最終のフェリーはとっくにありません。
深夜近くに船着場に着くと、叔父が漁船で迎えに来てくれていました。
いつもおどけて笑わせてくれる叔父も…無言。
娘のように可愛がってくれていたからこそ、父親に近い感情があったのかもしれません。

私は漁船で島に帰りました。
10分ほどで島に着くと、真っ暗な中、母と叔母が船着場で待っていてくれました。

2人からの『おかえり』という言葉に、子どものようにわんわん泣いてしまいましたが、父の姿がない…。

怒っているかな?と心配しながらも、家に着くと、顔を見た瞬間『俺はもう寝るぞ!』と優しい顔で言ってくれたことも忘れません。

こうして親不孝な娘は、またたくさんの人たちの力を借りて、自分の生活を自分で切り拓くための生活が始まるのです。

初めて仕事にやりがいを感じた瞬間

結婚生活に終止符を打ち、これからは『私の人生は自分で創る』と意気込んで、『とにかく頑張る!』『何でも頑張る!』とそう思っていましたが…

専業主婦の7年間で、私は見事に社会からオイテケボリになっていました。
30歳を過ぎていた私。パソコンも使えない、社会人としてのブランクが長すぎる、働くなら正社員という固定概念もあり…

『派遣』って何?
『契約社員』って社員じゃないの?
と、そういう状況から私の就職活動は始まりました。

ただ、久しぶりの一人暮らしにワクワクする気持ちがあったのも覚えています。
就職するために、先に一人暮らしの部屋を借りたはイイが…

就職に至っては書類審査(履歴書のみ)で落ちまくり…面接にさえ、たどり着けませんでした。

やっぱり人生ラクじゃないなと思い始めましたが、そんな時に就職情報誌(無料)の小さな求人が目に留まったのです。

『あっ!この会社知ってる!』
そして『社員登用制度あり』の言葉に目が行き、ダメ元で契約社員の募集でしたが応募しました!

そしたら、面接で会ってくれるって!!

ただ、久しぶりの面接では、7年間の無職期間に触れられ、私の結婚生活時代の話を簡単にし、だからこそ、人一倍働いて、家族を安心させて一人で生きていく覚悟をお話ししました。
時間にして1時間半くらいあったでしょうか?

あまりに手応えなく面接を終え帰っていたら、帰り道になんと『採用連絡』!!
『明日から来れますか?』と言われたのが、前職の会社です。

そこから必死に働きました!正社員になりたいなんて簡単に思っていたけど、正社員になるのは大変そうだと当時の社員さんを見てはそう思っていたのです。

1年くらいコールセンターのオペレーターとして働いていた私に、正社員にならないか?とお話を頂きました。
うれしい反面、社員さんたちの大変さも目の当たりにしていたので、3回断りましたが、さすがに平行線のような気がして、お受けすることに…。

やっぱり大変だった…。
だけど、初めてマネジメントの仕事に就き、自分の部署のみなさんの潜在能力を引き出すお仕事は、私にはやりがいとなっていったのです。

主婦の方、学生さん、シングルマザーの方、親の介護をしながらの方、60歳を超えられている方…。
いろんな状況下の方々と一緒に働かせていただき、『みなさんの笑顔のためなら何でも頑張れる!』とそう思っていました。
初めて仕事が楽しいと思えた瞬間です。

神さまからの試練…私の人生諦められない!!

早朝から深夜まで、とにかく働きました。家と会社の往復だけの生活。
コンビニのご飯が私の食事。でもお昼の休憩もろくにとらず、1分1秒が惜しい…そんな気持ちで仕事に戻っていました。

神さまは見ているんですね…。
無理やりにでも休憩を与えようと…。

身体がきつく、休日は丸一日でも寝て過ごせました。
身体のきつさは、仕事のし過ぎだろうな…としか思っていなかったのです。

でもあるとき、胃が痛くて、痛くて…。
ストレスフルで働いてきたから、潰瘍でも出来たかな?とそんな風に思っていました。
市販薬で痛みを抑えようと思っても一向に治まらず…。それなのに、私は1年間もその状態を放置するのです。

いよいよ、どうしようもなくなり、病院を受診しました。
ひと通り検査を受け終わり、どのくらい経った時でしょうか?

お盆休みで実家に帰省していた時に、病院から電話がありました。
『先日の検査結果が出たので、なるべく早く病院に来て欲しい』と。

診断の結果、進行性の胃ガンでした。

35歳が終わろうとしていた時に告知を受け、これからどうしたら良いのか?頭が真っ白になった瞬間です。
それからは、通院と検査の嵐。
その後、頭に浮かんだのは、『私、また親不孝だ…』

意を決して母に電話をしました。
母は無言になり、次の一言は、『なんでYUKAばっかり…?』

私が口にしなかったことを、母が代わりに口にしてくれました。
次の受診日には必ず家族同席を求められていることを伝え、私の一人暮らしの部屋で、しばらく母との二人生活が始まりました。

でも、心のどこかで思っているんです…『私は生きる!大丈夫だと』

その反面、同じ病気の方々の訃報を聞き、どんどん痩せていく自分の体を見ては怖くなっていったのもまた事実。
『親より先に死ねない』そう思って毎日笑顔を絶やさずにいたのです。

親からしてみたら、その私の笑顔は『ヘラヘラ』にしか見えず、この子は事の重大さを理解しているのだろうか?と本気で心配させていたようです。

それもそうでしょう…。
一人になると…笑っていないと…涙が溢れてしまう。

そんな顔、誰にも見せたくなかった。

だから、あっけらかんと、病気を受け入れたふりをして、強がって見せることしか思い浮かびませんでした。
ただ、自分の生命力を信じて…。

あれから月日は流れ、ちょうど9年が経過しようとしています。
再発はない!もし今後ガンが見つかるならば、それは新しいガンと思って良いでしょう…と。

後遺症とはこれから先も仲良く付き合っていかないといけないですが、生活リズムを正しく無理をしなければ何でもない!!普通の生活です。

神さま、私の勝利ですね!
ご先祖さまに守っていただいたような、そんな不思議な感覚を強く感じています。

自分の本来の希望に気づいた瞬間

病気になってから、自分の身体のことを真剣に考えるようになりました。
今までは、『仕事が1番!』『コールセンターで働くスタッフのみなさんが1番!』
自分のことは後回しにする生活です。

7年間のブランクがあり、学歴も資格もない私に、会社は十分すぎる評価と、期待、そして働くことの楽しさと、人をもう一度信じることを教えてくれました。
そんな会社に、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

正直、こんな私が…という劣等感の塊だったにも関わらず、多くの人を導くための力を手に入れなければ、クライアントさまの利益に貢献しなければ、そして、何よりも『さまざまな事情で懸命に働く多くの女性』の収入源を確保しなければ…そんな想いで日々仕事をしていたんですね。

それだけでも、十分すぎる幸せの中にいたのに、私はもう一つ、『本当の気持ち』に気づいてしまうのです…。
それは、自分にとって一番身近で、恩返しをすべき人たちへ、まだ何もお返しできていないのではないか?ということ。

そう…『残された家族との時間』そして、私たちの時間は限りがあると分かった今、『大好きな仕事も両立させる』ということ。

15歳で親元を離れ、1年に1回、たった1日帰れば良い方の私でしたが、ある時、父がボソッと『あと俺は何回YUKAに会える?』という言葉を思い出しました。
親不孝の娘から、親孝行ができる最後のチャンスは『今』かもしれない!そう思うのですが、自分に任されている責任の重さに、起業するまでそれから7年の歳月を過ごすことになるのです。

『立つ鳥跡を濁さず』その言葉のように、感謝してもしきれない会社に対してと、一緒に働く仲間に迷惑をかけずに、やれるだけのことを精一杯やったのちに、そのタイミングが来たら退職しようと心に決めました。

起業することを視野にいれて学び始める

コールセンターのセンター長として、部長として、私がこれからやることは許されない行為…。
正社員がWワークを認めれるには、まだまだ先の話なのです。

だけど、起業するにはこんなに自己投資が必要なんだという、大金を払って、全くのゼロから学び始めました。
会社に平均16時間以上居た私は、起業活動に充てられる時間がない💦

それでも諦めきれない夢を叶えるための一世一代の大勝負に出た気でいたんです。
毎日、ブログを更新しました。毎日、認知活動頑張りました。
だけど、一向に芽が出る気配がない😰

いろんな焦りから、やっぱり会社一本で働いた方が良いのか?
そんな気持ちも芽生えだしたことから、諦めきれない気持ちが上回り、さらに起業塾を受講…。

それでも、点と点が線で結びつかないのです💦

本当に諦めかけたとき、その後の私のメンターに出会いました。
その出会いが大きく私の起業家人生を加速させてくれたのです。

正しい地図を持ち、目的地へまっしぐら!

新しい起業スクールでは、私でも知っている既に成功している人たちの顔ぶれがありました。
『あれ?私、場違いだったかな?』そういう想いになったのも事実です。

だけど、これだけ成果の出ている人たちがさらに飛躍しようと学びに来られていると思うと、同時にワクワクも止まりませんでした。

私がこれまでにマーケティングを学び、日々お客さま対応をしていた企業のDMRが、この起業スクールで個人事業主向けのタスクにまで落とし込めたんです!!

基本の流れは全く同じ!それを個人ベースでどう戦略を立てて行動していくのか?
それが分かった瞬間、とてもうれしく、ただ、このノウハウ通りに日々行動出来れば良い!という
安心感に包まれたことを今でも思い出します。

これまで全く集客できなかった私も、少しずつ兆しが見えてきて、学び初めて3ヶ月目に言われるままに販売したら、なんと初成約できたのです。

今までの学びも決して無駄にはなっていません。
逆に成果を出せなくて申し訳なかったとさえ思っています。

そんな、経験ゼロ、SNSに疎い私も、初めは慣れないインスタに苦戦しましたが、ゼロからイチを作ることに成功!!
その再現性の高さに私は今、生徒さんを同じように導いています。

諦めなくて良かった…挑戦してよかった…

何度も起業を諦めようとした私が、あの時、さらに挑戦してみようと勇気を出した自分を今では褒めてあげたい(笑)

同じように、『学んだのに成果がでない💦』『何から始めたら良いか分からない💦』女性起業家のみなさんへ、私の失敗談を通して、成功までの最短ルートでサポートさせていただきたい。今はその一心です。

なかなか成果が出ないときやうまくいかないことが続くと、人は自分には無理なんじゃないか?と考えがちです。
だけど、私が諦めなかったのは、メンターさんを信じて、自分の底力を信じていたから。

そして、限りある時間を、私を育ててくれた大切な家族との時間にするために、諦めなくて良かったと本気で思っています。

人生、山あり、谷あり…。
うまくいかないことが続いていれば、あと少しの頑張りで、あとは上がるしかありませんよね!?

フリーランス人口がどんどん増え続け、2023年のインスタ集客は今より難しくなることが予想されます。
・お金がないから
・時間がないから
・自信がないから
なんて、言ってられないですね💦

少しでも早く行動して、少しでもビジネス感覚を早く養って、自立できるためにも、どんどんメンターの元で経験を積まれてください!!

私にお力になれましたら、いつでもお声かけください♡

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